家族葬と言いながらも難しい

わたしは祖父母ともになくなっています。
二人が二人とも「葬儀は家族葬でお願いしたい」という生前からの強い希望を持っていたために、苦労した経験があります。

特に喪主であるわたしの父親、そして母親です。
田舎の生まれ、育ちであったため、祖父母の世代の葬儀は基本的に自宅で行うことが当たりまえ。

かつ、お坊さんについてくる人数がぞの人の生前の人格や人柄を表すといわれるくらい、昔ながらの葬儀の風習があるところです。

そんな状態で家族葬にしてほしいといわれても、過去に実例もなければ、かなり難しいというのが正直なところでした。
まずは、葬儀の場所です。
田舎なのでもちろん、自宅で行えば、だれでもわかってしまいます。

s_025仮に自宅で葬儀を執り行わない場合も、近隣の斎場を利用します。
その際には家族葬といいながら、だれまでそのことを知らせるべきか、というところが課題になります。

先に亡くなった祖父の場合は、ある意味地域の盟主という位置づけもあったので、家族葬といいながらも、通常の葬儀に近い形で近隣の方々にはお知らせし、仙台迎賓館 斎苑で行いました。

それでも自宅で執り行うのとかわらない方々がお越しいただいたのは、印象的でした。

逆に親戚や兄弟姉妹も、遠方でかなり年配になってからの祖母の家族葬は、これはこれで逆に本当に寂しいものだったと記憶しています。

本当にこれだけの人数なのであれば、遠方の友人や、兄弟姉妹もみんな弔ってもらえるように手配したほうがいいのではないか、と思ったほどです。
もちろん、四十九日も一周忌も本当に近親者でお寺に参っただけです。
基本的に葬儀は主体者の生前の意思を尊重すべきではありますが、実際にはそうそう思った通りには行かず、難しいものです。